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2009年1月18日日曜日

1月17日 武奈ヶ岳 八雲ヶ原まで









草津SAでゆっくり朝食やコーヒーをとった後、京都東ICから湖西道路へ入ります。昨年はこれが解らず草津ICで降りて市内を通ってしまいました。
湖西道路終点を左に行くとスキー場跡への登山口です。簡単な雪山として人気のある山なのですでに10台以上が駐車しています。置く場所が無く、湖西道路終点にも3台止めてありました。
ほぼ1年ぶり、9時半出発します。(1番目の写真)
雪山ウエアでは暑くてたまりませんが、粉雪がちらちらと落ちてくるのでアウターを脱ぐわけにはいきません。汗ぐっしょりとなります。
北比良峠と青ガレの金糞峠への分岐で、当初北比良と考えていたのですが、たまたま後から登って来た方が「真っすぐの青ガレから行った方が近い」というのです。これが適当だったのですが。
しっかりと踏み跡がついた道を金糞峠手前まで登ります。ここで3人の下山者、ここで引き返すとの事。去年も10数人いました。ここまでハイキングで来る方が多い様です。
2番目の写真は琵琶湖を振り返ったもの、去年は美しく撮れたのですが今回はいまひとつ良く見えません。
峠から八雲湿原へ下ると途端に踏み跡は少なく、つぼ足では埋まります。
しょっていたスキーを下ろしシールを装着、今季初のスキー山行です。先行者のスノーシューの跡を快適に走行します。
すぐに分岐点で真っすぐ云々の方に会い、ここで引き返すと云われます。
昨日のものか、テレマークの跡があり、その上をガレで追い越して行った先行者がスノーシューで進んでいる様です。
湿原は山に挟まれた細長い沢筋という感じで小川が流れています。スノーブリッジを何度か渡ります。
3つ程小屋があり、数メートル落ち込んだ沢の所でテレの跡が引き返しています。
「うわー、これで撤退か」と思いましたが、戻ると尾根筋へ大きくジグを切って登っている跡を発見。登ります。小さな稜線の中、木があるので右に左にと小刻みに進みます。湿原からずっと、つが系の樹林の中で眺望は全くありません。やがて3時間半経過の13時となり、この時点で山頂はあきらめます。
すぐにリフト跡の中間点へ出ました。テレ跡は左上に、先行スノーシュー者は下の雪原、八雲ヶ原に見えます。リフト後は樹林の間なので下の先行者とその向うのスキー場跡しか見えません。遠くに中継所のアンテナも見えます。こちらが頂上かと思いシールをはずして滑り降ります。
独特の湿った重い雪で、ひざ下まで潜ると全然曲がりません。挙句、ほんの少しの登り返しでハの字開脚で登ろうとしますが、1cmも進むことはできません。
スキーをはずし、手に持ち雪をこぎながら登り返します。下に、八雲ヶ原に13時15分、降りると北比良峠から来たというアベック。頂上は反対の左側でした。ここから1時間と云う話です。「いつもより雪が多く時間がかかった」とのこと。
アベックは私が来た道へ、私はアベックが来た道へと進みます。シール登行で樹林の間に、そこだけ木が無く真っ白な武奈ヶ岳の山頂が大きなコヤマノ岳の右上に望まれます。
眺望は殆どなかった山行と思っていましたら、ロープウエイ駅跡の北比良峠へ着くと、素晴らしい眺望。
3番目の写真はそこから西側へ、コヤマノ岳の右上、武奈ヶ岳とスキー場跡を写したもの、八雲湿原はこの峠とコヤマノ岳の間になります。
東側は湖西越しの琵琶湖です。グッドです。
ただ、ここだけは沢筋上の稜線で烈風。体感零下30℃の感じです。そんな低くはないのですが、山での脅威は風だという事を実感させてくれます。シャッターを押すのにグローブを脱いだ右手指がその後30分ほど激しく痛みました。
北比良峠から先は稜線ですので眺めは良く、琵琶湖や山々を望みながら進めます。ただ超重の湿雪で樹林帯ですのでスキーは駄目でしょって降りることになります。
スキーをしょってスキー靴で降りるのは、きついですねー。
金糞峠との分岐点からは林道の趣きですので、そこからは滑りました。16時に車の所へ戻りました。
暑くて水500mlでは足りなかったのと、スキーを担いでの下りはちょっと体を使った感じです。
大津のあさひビズネスホテルへ投宿しました。

2009年1月13日火曜日

1月11日 三峰(みうね)山 登頂





今月2日中止の三峰山へ登頂しました。奈良県側の御杖(みつえ)村は樹氷祭りということで昨日が山開きです。私は三重県側の福本の登山道から登りました。
午前11時、雪がちらつく中、雪の造林の中をジグを切って進みます。1時間弱で稜線の八丁平へ着きます。やはり御杖からの登山者が多く3、40人が昼食休憩しています。
3番目の写真は稜線手前で来し方をを振り返ったもの。1番目は同じコースを稜線からです。2番目は八丁平から高見山方面。稜線は雪の世界です。

ここから100m、10分程で山頂です。4番目の写真、北側は展望が開けており元旦に登った倶留尊山が御杖村越しに見えます。
黒と白の帯状は雲があって太陽が当たっているかいないかのせいです。

晴天でしたら写真もきれいなのですが。

風もあり気温はかなり低いです。写真を撮るためグローブを脱ぐと手が痛くなります。稜線からの眺望は楽しめました。30分余りの滞在の後、下山しました。
ウエブアルバムに他の写真もアップロードしてあります。



時間が有り余ったので、大台(おだい)の先にある伊勢神宮内宮の別宮である、瀧原宮へ参詣しました。不作為に参道に並ぶ杉の大木が素敵です。

夜は松坂シティホテルに宿泊、新町のすし処「垚奴家」さんに伺いました。板長さんの云う分には松坂はとても景気が良いそうです。






2009年1月5日月曜日

1月5日 お薦めHP

ネットサーフィン中に見つけた、HP。

ユーモアと蘊蓄もあり、お人柄が偲ばれるページです。オートバイの乗り方は必読。




2009年1月4日日曜日

1月4日 PETZL e+lite 購入

大晦日の山行で2気室のザックの下のジッパーを閉め忘れLEDのヘッデンを落としてしまいました。今さら電球のヘッデンは使えません。
石井スポーツのHPでもお薦め小物として掲載中のベルツの最小のを登山本店で購入してきました。
ボタン式の電池を使用、下がケースです。

日没後の非常用か幕営でのトイレ行きでしか、使用しないのでこれで良いかと思います。

強力なライトがあれば、日没後も歩ける様な宣伝もありますが、明確な道筋であればそうですが、沢筋や樹林帯の中を赤テープで追う様な所ではアウトです。

私はそれで一昨年の11月に池口岳でビバークとなりました。

2009年1月3日土曜日

1月2日 三峰山(みうねさん) 中止

山間部下は薄曇りです、朝食後ネットで調べておいた166号の桑原トンネルからの林道を目指しますが、桑原トンネルの表示板が汚れて見えずらいせいもあり、手惑います。
トンネルどちら側からでも飯北奥林道へは入れます。何より国指定天然記念物の構造線の看板が目印です。
そのせいか林道はきれいに舗装されており、3ナンバー高級車でも通行は可能です。構造線の2番目の入口を過ぎしばらく行きますと、凍結です。この先、山は黒い雲に覆われており、ここで中止して引き返します。
雨や吹雪、ガスで眺望が無いときは中止するのが、わたくしの考えです。

なお、地元の民家へ道を尋ねましたおり、「こちら側ではなく、福本から入った最初の登山口からが最短距離」ということです。ちなみに桑原からと福本からの林道はつながっています。


松坂へ降り、嬉野ICから伊勢自動車道へ乗り、中央高速経由で帰りましたが、関鈴鹿、八王子が渋滞で疲れました。




2009年1月2日金曜日

1月1日 倶留尊山(くろそやま) 登頂





名張から雪の中、山並みロードを進みます、曽爾村に着き国立青少年の家に向かいます。10時に着くと2名の下山者、宇都宮NO.でしたがやはり300名山を目指しているとのこと。
雑誌の素晴らしいグラビアで知っていた曽爾高原でしたが、見た瞬間「なんじゃこりゃ」と思いました。
箱根千丈ガ原の百分の1位しかないのです。平原の部分は1kmちょっと位でしょうか。

1番目の写真、亀山峠からです。右に見えるのが国立青少年の家、向うが曽爾村です。2番目の写真がカヤトの終わる所からのもの、左側1番低い所が亀山峠です。
カヤトの稜線部分はさえぎる物が無いせいか烈風、雪山装備でもミドルウエアが欲しい感じです。カヤトが切れると両サイド杉林で眺望は無くなります。じきに二本ボソ山頂(3番目の写真)です、悪名高い料金徴収小屋があります。冬季は無人です、鞍部に向けてモノレールが伸びており管理人はそれで登って来るようです。二本ボソ自体が倶留尊山を少し小さくした様なピークとなっています。
ここから雪となり鞍部へ降ります、ロープが伸びています。鞍部手前で一瞬晴れ間が出て倶留尊山を撮す事ができました(4番目の写真)、鞍部がまあ急なことは窺がえると思います。実際は大したことは御座いませんが。雪の中を進みます、1時間半ほどで5番目の山頂となりガスで眺望は無くすぐに引き返します。山頂の先は樹氷が奇麗でした。

帰りもカヤトの稜線は烈風、グローブで顔を覆いながら進みます。亀山峠を降りると途端に止みましたが。

ハラハラと降る雪の中、明日の三峰山(みうねさん)へ向け、東吉野村へ向かいます。

12月31日 龍門岳 登頂



昨年晦日に三津からの登山道を捜して旧道が通行止めであきらめましたが、山口神社から道で登頂しました。野迫川を出て3時間余りで吉野の山口集落へ着きます。
神社左の道を一直線なのですが、滝、寺跡を過ぎてもまだ軽トラ道は続き前進しますがタイヤがバースト。テンパーではどうしようもないのですぐに吉野へ戻りガススタ3件程当たりますが185/60のタイヤはありません。「橿原のオートバックスにはあるのではないか」というので向かいます。国道沿いにイエロハットがあり当該タイヤを購入装着します。昼食後、午後2時戻ります。今度は滝手前800m位の石垣の所に車6台位のスペースがあり、そこに止めて進みます。

現地は間伐採と搬出が精力的に行われており、ユンボやブルで道は作り放題の趣きで、訪れる登山者も少ないせいか、登山道入り口とか駐車場とかいう標識は無いのです。登るのでしたら私のとめた位置が正解かと思われます。当日も軽トラ2台と行き交いました。滝、寺跡(1番目写真)を過ぎ軽トラ道を進むと2番目の写真のとおり丸太土留めの道となり人造林を進みます。20分程で埋もれた砂防ダムがあり、かってはここまでダンプ道があったのでしょう。沢沿いを少し進むと登山道らしくなり、稜線登りとなりますが、人造林で眺望は全くありません。急登を登り切ると1時間半で頂上です(3番目の写真)。祠があります、眺望は全く無く下山にかかります。曇天の中の人造林ですから、往復暗い中を進んだ感じです。

昨日に続き眺望の無い杉の人造林の中を歩きました。奈良時代の大名刹跡ということですが、今は文字通り跡かたもありません。ここも300名山を目指す方以外は全くお勧めできません。

12月30日 伯母子岳 登頂




昨年12月晦日の中止、先月の雨天中止に続き3度目の正直。午前10時出発。1番目の写真、大股の橋を渡り10数件の集落を抜けると墓地、ジグを切って急斜面を上り、進みます。風が無く、雪山装備ですと暑く、たまらずアウターを脱ぎウールの下着だけとなります。登山道というより車道です、すぐに萱小屋跡に着きます。60m程の苔むした石垣があり人為的に整地された跡もあり昔何かがあったことが偲ばれます。完全に整備された車道、杉造林を進み2番目の写真、檜峠に着きます。ここから雪と風になりアウターを着てフードを被ります。前日のものでしょうか、複数の足跡があります。降り気味に進むと護摩壇山からの奥千丈林道と合流します。3番目の写真ですが、唖然とします、真新しい轍が沢山あります。皆ここまで車で入ってきている様です。ここから山頂まで600mの標識があります。
皆伐採跡の、か細いブナの中の緩ーーい斜面を進みます。登山口からのんびり2時間半で山頂に着きます(4番目の写真)がガスで眺望無く、雪交じりの風は強くすぐに下がります。そしてサンドウイッチの昼食とします。 

また人造林の車道を進むのかと思うと少し哀しい気持ちとなります。日本で一番つまらなかった御正体山を思い出します。
誰にも会わないかと思っていましたら萱小屋跡で3人の縦走パーティ、高野山から熊野本宮まで小辺路を行き今日は伯母子岳避難小屋に泊まるとの事。

降りは1時間半で大股に戻りました。世界遺産ともなった小辺路の一部で期待もあったのですが超大ハズレでした。奥千丈林道との合流点までは眺望の全く無い人造林の中の車道歩きです。全線2tトラックが走行できます。200名山を目指している方以外には全くお勧めできません。


小辺路(こへち)は奈良時代高野山から熊野大社への最短距離として利用され、その故世界遺産ともなったのでしょうが、紀伊半島の山は現在造林と伴う林道により完全に破壊されており、また何一つ痕跡も無く(今日の道行)、その大半は林道歩きとなります。
今日は取り付きを除いてほとんど平な林道歩きで、合流点から先も散策路といった趣きで登山という感じではありませんでした。
あまりに簡単に終わって時間も目いっぱい余裕があったのですが予約済みの野迫川温泉ホテルに向かいます。