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2022年1月16日日曜日

鋸山 元名石切り場跡 1月15日



 
鋸山、第1、第2アドベンチャーコース、そしてラピタ、吹抜、岩舞台等の観光で一般開放されている部分と、全てロープウエイのある富津市金谷(ふっつしかなや)側ですが、反対の鋸南町保田(きょなんまちほた)側にも元名石切り場跡があり、ネットにもアップされています。

奥には明治時代の石切り場跡やトンネルも残されているとの事で伺って来ました、やはり面白かったですよ。千変万化という感じで、冴えない登山よりも段違いに面白かったです。


国道から日本寺への道を入って、三叉路の所の手前空き地に車を停めます。曲がってすぐ右に入る道が見えています。
遠くに稜線に鉄塔が見えています。あそこまで行くのだなと思います。着替えて出発します。風があって寒い、手が冷たい。
50mでアスファルトは終わってダートとなり進んで行きます。


荒れています、はるか昔に道だったという感じです。


両側掘れていたり、倒木もあり越えて行きます。ネットにあった直径10cm程のプラスチック管もずっとあります。


道跡の下に金属管やコンクリ管も幾つもあります。山側からの排水でしょう。


荒れ放題の道跡を進んで行きますと、横に筋を切ったコンクリ舗装となり、九十九折に進んで行きます。


左側に水没した石切り場跡に着きます。大きくはありません。


左上に石垣があり、上に石切り場も見えていますので登って行けば上の石切り場跡に行くと思われます。


何段もの石垣跡があります。多くの変遷があったものと思われます。


大きな切通があって、そこを過ぎるとドラム缶の広場です。ドラム缶の後ろは石積みで飯場の調理場だったのでしょうか。


そこを過ぎて進んで行きますと石が並べられた石切り場跡に着きます。100m程の平らな整地です。


そこを進みますと、祠の所となります。右に大きなレールの切れ端が置いて有りますが、上がれないでしょう。
左に木の根が出てますので、3歩で簡単に上がれます。上がっても他に進めず、降りる事になります。


降りて横に進んで行きますと行き止まりで、下方に切通と並んだ石が見えます。戻ってそちらに行きます。


進むと穴が掘ってあります。切通が崩落した丁場への入り口です。
ただ丁場(石切り場跡)は高さ70m位、唖然丁場と何とかさんが言うけど金谷側から比べると全然大した事ないんですよ。
そのまま進みます、写真省略。


進むと崩落で埋まった切通しの上です。何十年も前でしょう、土がかぶさって木も生えてますが、踏み抜きが怖いです。
恐る恐る写真を撮ります、下は30m近くあります。


進んでみますと奥は23m四方のコノ字型の石切り場跡が。ここで行き止まりで、戻ります。


戻って下に進んで崩落した切通の動画です。
関東大震災で崩落との意見もありましたが、石切り場跡は昭和の機械掘りで、そうじゃないでしょう。



進んで行くと二つ目の切通しが。手前に真新しい木を切った跡が。関係者が整備されてる様です。


二つ目の切通しはきれいに残っており丁場へ入りまして、出てきます。


切通しの写真です。きれいですが下は何mも埋まっている感じです。
大きな石切り場跡と切通しは二つだけでしたね。


切通しを出て進んで行くと、標識に着きます。裏にはSHCとあり篤志家の様です。薄紫のテープもあります。
ここから稜線への登山道もあるとネットにアップされてましたが、明治丁場やトンネルも見たいので、下へ降りて行きます。


崖の斜面を行きますと下方に石垣が見えます。あっ、明治の車力道と思い木につかまりながら降ります。


降りました。明治のトンネルです。土留めでしょう、石垣が4段あります。
ここからの降りの車力道は30度近いです。

トンネルの高さは3m以上でしょうか。


出てからL字型の道を行きます。右は掘られていて切れ落ちています。
前方に石垣が見えてますが、そこを越えると明治28年丁場です。


高さは40m程で大きくはないんですよ。良い石で横に掘ったのでしょう。中央に年号の彫が見えています。水が溜まっていて奥には入りませんでした。


明治28年旧8月と彫られています。


ヤマップのブログで28年丁場右手から稜線へ登山道を登ったとの記録も有りましたが、その先に細い石樋と階段の道があるので登ります。
幅70cm位、右は掘り進んで垂直に切れ落ちています。斜度も30度位、道が無くなったりしてして、うっへーという感じ。ところどころ切れ落ちたり倒木が有ったりですが、進んで行きます。レアすぎて写真を撮る事もできません。
ただ、道跡は続いておりどんどん進みます。これは稜線まで続いているだろうと確信します。


やがて左側が高い壁となります。後ろに整地も見えます。


そして小さな石切り場跡に着きます。2段になって50m上は稜線で、一般登山者の声も聞こえてきます。右にも石切り場跡が見えます。
左側を稜線に進みますが切れ落ちて進めず、戻ります。戻って石切り場跡を右に詰めるかと思いましたら、20m程戻ると木が生えてるので支稜線に上がれそうです。垂直でも木が生えてれば大丈夫です、つかまりながら上がります。


支稜線へ上がりました。地籍調査の杭もあり、薄紫のテープもあります。ここが、SHCの登山道の所でもあるのでしょう。鉄塔の100m手前です、支稜線の感じで、解るとは思います。
別に面白くも何とも無いですが、一応鋸山山頂を踏みに行きます。
朝はセブンの二八蕎麦でしたので、腹が減ってカロリーメイトを齧ります。何か美味しい物を持参すれば良かった。朝起き直ぐは食欲も無いじゃないですか。

登り上げた支稜線へ戻ります。テープはありませんが地籍調査の赤い杭が下方に続いており、それを追って降って行きます。登り上げた樋道の上ですね。



やがて支稜線は切れ落ちます、そこに標識があります。眼下に元名ダム湖が、保田の街と勝山方面が一望できます。
左側へ降りて行きますが、崖の斜面で虎ロープだらけ。無理矢理のコースでバリエーションに近い。
途中、テープも無いので思案する所もありますが、下方へ尾根筋と見える所を降って行きます。


水仙広場に降りて振り返ります。薄紫のテープもあります。
トンネルへ降りて、明治の車力道を元名ダムへ進みます。


百数十年の歳月は、道を自然に戻して痕跡はほんの僅かです。


倒木帯です。大木は越えれば良いのですが、細い木が積みあがったものは足がつかまってしまいます。高巻きしていきます。


基本、広い沢状で元名ダムへ降っているので、迷う事はありません。


午後のまばゆい光の中、道跡はダム湖に消えて行きます。
左側を巻いて進んで行きます。藪は無く、楽に進んで行けます。


作業道が見えて降ります。足が置ける窪みがあって楽に下まで降りれます。


後は道を歩いて行くだけです。直ぐにダムサイドの舗装路に出ます、


舗装路から石切り場跡が見えます。


車に戻りました。面白かったですね。


ヤマップのログです。

この日は富士山も大きく見えていましたね。




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