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赤牛同士の突きあい
奥只見丸山スキー場は1日で飽きてしまったので、4日は行った事の無い山古志(やまこし)へ伺うことにし、国道352号で向かいます。小出から13km、車ですと直ぐです。
種苧原(たねすはら)という地に着きます。ここが山古志で1番家屋が多いですね。
道なりに進んで山の上の方に行くと、廃校となった小学校があります。廃屋もけっこう目につきました。
廃校手前の消火栓です。1m80cmあります、旗は3m以上。降雪でも判るようにでしょうね。
種苧原にも闘牛場がありましたが、今は使われていないとの事です。種苧原から闘牛場のある南平まで県道24号を進みます。
そして山間部に採算度外視で造られた段々状の水田を見ます。道路もこんな山中にと思う立派な物です。巨大な橋が何本もかかっています。
左折して10戸建て位の新築の民家の前を通って闘牛場へ向かいます。下の駐車場に車を停め、徒歩でレリーフの前を登っていきます。
直ぐに闘牛場です。13時からの開催前に関係者が集まって打ち合わせをしています。
まだ8時ですので、大和町、JR浦佐駅前にある池田美術館に伺う事にします。戻るのではなく国道292号で堀の内へ出ます。そこから国道17号で向かいます。
292号も山の中で1台しか車に会いませんでした。
浦佐駅前を左折、川を渡って直ぐ右に美術館はあります。奥の左に越後駒ヶ岳と右に八海山が見え、絶好のロケーションです。
直ぐに見終わり昼食に南魚沼市大崎にある蕎麦屋「松よし」に伺います。17号に大きな看板があったからです。有名店の様で数人が並んでいます。外で30分待ったのは良いのですが店内で40分待たされたのは嫌になり、帰ろうかと思ったところで、やっとへぎ蕎麦が出てきました。へぎ蕎麦とはつなぎに山芋や山ゴボウを使った物です。
あっ、蕎麦は美味しかったです。
蕎麦屋で時間を盗られ、闘牛場へ戻ったのは13時過ぎとなります。闘牛場手前の県道24号にも百台以上の車が並んでいます。係員に「ずっと先の一番前に停めてくれ、送迎の車は走っているから」との事で行きます。降車後すぐに乗用車が声かけして乗せてくれます。他一名を拾って闘牛場へ、料金二千円を支払い入場すると既に始まっていました。
階下は満席でしたのでコンクリ製の階上席の一番後ろの立ち見に行き見学します。ざっと見、二千数百人でしょうか。隣に地元山古志の牛のオーナーさんが居て説明してくれます。13番の闘牛があり、最初は2、3歳の若い牛が、後半は10歳、15歳といった古参の牛となります。
「前は柵が無く、観客席まで牛が入って来て良かった。スペインより良かったのではないか。田んぼまで逃げてく牛もいて、皆で捕まえに行った。今は柵が出来てしまった。」
「前は自宅で牛を飼っていた、家族同然だった。今は禁止となり1っか所で50頭まとめて飼っている。」
「負けたら肉なので、最終的に残るのは1割」「角が折れた牛は肉だったが、今は良い事になった」
この牛も左角が折れています。先っぽは石膏で造ってあるとの事です。
カンカン照りとなり、帽子か日傘が無いと辛い。数百kgもある牛が当たるので、ゴツッっという鈍い音が響き迫力はあります。最初の方の若い牛は直ぐに勝負がついたのですが、中盤になると勝負はつきません。10分位で勢子が話して引き分けとなります。
左後ろ足に綱をかけて引っ張り、離します。
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離された牛はおとなしく、子供を乗せて記念写真です。10番まで見たところで帰る事にします。
闘牛場から越後三山がきれいに見えます。左から越後駒ヶ岳、中の岳、八海山となります。3つとも300名山に含まれてるので登りましたが、中ノ岳が急登で最高にきついです。
292号で17号に出て、関越で東京に戻りました。
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