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2022年3月22日火曜日

3月21日 売津(うるず)石切り場跡

富津市湊、鋸山の手前にある湊川の売津石切り場跡に行って来ました。昭和17年に採掘を終えたとの事で、高さ60m位の石切り場は2つ、昭和後半まで大規模採掘を続け高さ100m近い石切り場が何十本も続く鋸山とは比較になりません。また、年月も経っているせいで自然に帰っている趣きです。

ネットで関東大震災で湊川河口が2m隆起し、廃棄されたとの話しは嘘でした。案内人が昭和17年との彫りがあるとの事です。


 現地略図です。国道127号から湊川沿いに入って直ぐ、神田橋を渡ります。直ぐ右に曲がり100m進むと川べりに10台位停めれる空き地があり、そこに停めます。通行人に訪ねると入り口の隣の方が管理しているとの事で、話しかけてくれ途中まで一緒に行くとの事です。

江戸時代からの竹岡まで続いている古道を行きます。沢状に放棄水田があり、その左側を行きます。右側に石切り場跡が見えます。かっては道があったが消滅したとの事です。


車を停めた反対側から入ります。電柱に佐藤税理士事務所の看板が下がっています。


廃水田は葦がビッシリです、振り返って写したものです。道は刈払われて整備されています。


やがて右に分岐があり、ここまで案内してもらいました。廃水田を挟んで反対側の道は消滅しているため、廃水田を渡ってからは無理矢理造った崖の急登を登ります。


石垣も見えます。右にロープも張られています。ロープ沿いに登って行きます。


連なっている石切り場跡に着きます。高さは60m近いでしょうか。

下方は荒れています。かっては道があったのは解ります。


高さ10m、幅3m、長さ30mのトンネルがあり奥に石切り場が見えます。


動画です。



くぐって行くと一辺が40m位の正方形の石切り場跡です。高さは60m位でしょうか。

ま、鋸山とは較べもににはなりません。戻ります。

戻って古道を少し戻って左の道を進みます。写真に出ている低いトンネルの石切り場跡に直ぐに着きます。

幅は8mくらいでしょうか、奥に進みます。


トンネル入り口の手前右に石垣と平らな杉造林があります。


トンネルはコの字型で右に曲がって出て振り返った所です。


高さは70m位でしょうか。幅は30m位。


コノ字型の先です、登って行きます。左に平らな杉造林があり、昔日は何かがあったのでしょう。進んで行きます。


やはり、切り通しがあって先に石切り場跡があります。一辺が40m程の正方形です。5m幅の落石で埋まっています。


下に水が溜まっていますが、右へ行きます。


右へ進んで振り返ったものです。鋸山の倍の年月のせいか、水分が多いせいか植物が生えていますね。



石切り場跡を出て更に稜線を進みます。私には道があった事が解ります。石垣もあります。


高さ20m程の小さな石切り場跡が幾つも続きます。


樋道です。幅1.5m位。これを登ると稜線を巻く様に150度位曲がっています。藪が濃い。下に館山自動車も見えます。ここで戻る事にします。


昔は道だった所を降って行きます。



石垣もあり、痕跡は充分です。藪はびっしりと凄くなります。かき分けて越えて行きます。



やがて古道に出ます、奥に廃水田です。


古道の少し上に溜池の関があります。今は水は抜かれています。下の方に昭和8年建設との碑がありましたね。その頃に水田も開発されたのでしょう。


古道を戻ります。入り口から入って直ぐに20m四方の小さな石切り場跡に人が入れる穴が40m位、戦争中の軍隊が作ったそうです。ヘッデンを点けて奥まで行って来ました。この上にお墓があり、御参りの夫婦がいましたね。

規模は小さく2時間足らずの散策でした。車に戻ります、案内の方もいました。



その川べりでシラス漁が行われていました。始めて見ます。3m四方の網を数分間沈めては上げる、気長な漁です。しばらく見ていましたが、全然獲れませんでした。



10時過ぎで終わってしまったので、この日は鴨川へ行ったり20年ぶりに富津岬へ行ったりしました。

いつもの鋸南町保田に泊りました。




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