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2008年10月13日月曜日

10月12日 能郷白山 登頂













名古屋の旅館「松泉郷」泊、就寝2時間で足がこむらがえりで起きてかっちりと目が覚めてしまいます。
5時起床予定が目覚ましがならず6時起床、年寄りいっぱいのデニーズで小さなパンと野菜スープの朝食。晴天の中、根尾村を目指します。ナビ任せで名古屋高速から東名、岐阜羽島で降り瑞穂市経由、根尾村へ。10数年前、父と薄墨桜の観光を思い出します。その頃は山も登山も全く知らず、真っ白な白山から冷たい風が吹き下ろしていたのが、そして大勢の人で賑わい、帰りに岐阜への道を行くと、反対車線が20数キロもの渋滞だった事を改めて思い出します。
国道で温見(ぬくみ)峠の予定が樽見から土砂崩れで通行止め。天下の往来、国道なのに「地元車両優先」の立札が笑わせてくれます。2時間で山頂の予定が、3時間で山頂の根尾谷からの登山道へ。これが更に番狂わせの超厳しい登山へ。


「私有地につき立ち入り禁止」のふざけたゲート前(林道は国費で建設されてるのだろう)には10台程の車。着替えて林道を進みます。昭文社刊2006年版「日本200名山を登る(下巻)」ではゲートからすぐ左側に登山道の記載ではあった。しかし無く、ひたすら舗装の林道を進みます。間違えたのかと何度も思いますが小一時間で分岐点に。鍵を開けて入ったのでしょう、地元車両があります(ふざけてるなー)。
まっすぐの道は大石で車が入れない様に塞がれ、上にケルンがあるので進みます。しばらくして振り返ると左に行った若い親子連れが下がってくるのが見え、分岐点へ戻ります。「登山道はこちらでしょうか」と声をかけると、「否、行き止まりで戻って来ました」「私は前に登ったことがありますが、その時は入ってすぐ左に登山道があった記憶がある」「尾根筋を登ったのに、この道は谷筋を進んでいる、おかしい」といいます。「でも無かったですよね、こっちにケルンはあるし」と私。

そして真っすぐを、一緒に進みます、結構な登りで答えます。30分程でありました、登山口が。(2番目の写真)
前はここまで、車で入れたのが、今は6km程下でゲートを設置してるのです。ここが標高710m、山頂で会った方がゲートの標高は310mと云ってましたから結構な登りです。体調万全では無い私は、この時点でもうバテバテです。朝のチンケな食事でお腹はすくし。持参はサークルKで購入のいなりずしとソーセージ1本ですし。
登山道に入ります、前山まで急登につぐ急登です、本当にこたえます。標高1000m程にも登山道入り口標識と廃棄された林道が。昔はここまで車で入れたのでしょう。廃棄林道はさらに右上の稜線近くまで続きます。加賀白山で見たように、何10段もの砂防ダムが見えます。
300名山で日本各地の山奥を歩くと、何10億円も投入されて建設されながら、すぐに廃棄された林道を数多く見ることができます。最初から必要が無かったのでしょうが、とても、とても悲しい気持になります。
急登を進みます、立ち止まりを繰り返しながら。
喘ぎながら前山に着くと前方に山頂が見えます。(3番目写真)向って右の方が頂上です、真ん中辺に木の祠があります。ここから一旦下って登り返して山頂です(5番目)。前山から振り返ると秋晴れの中、尾根筋左奥に能郷部落が、右側の谷筋奥にはダム湖が見えます(4番目)。1時間ちょっとで山頂へ、午後2時でした。先着の滋賀からの親子連れと歓談、昼食。行き交う人も皆きつかったと云います。大回りして温見峠から来たという人2人。樽見から村道をまわり温見峠には行けるとの事でゲート右上に小さな案内図があったとの由。私も見ましたがそれが迂回案内とはとても思えませんでした。
山頂は前山から見えるとおり笹に覆われた台地状で、(1番目)南に冠山、北に加賀白山が見えます。なかなかの眺望です。しかし、ゲートから1300mの標高差を登ったのですから、とてもきついです。
前述のとおり、林道には何ひとつ標識はありません。私には登山以外使用目的のないと思われる通行止めの林道ですが、まだ幅100m以上の大規模な法面(のりめん)工事や砂防ダム構築が行われています。
食事と写真撮影のあと、帰りをとにかく急ぎます。林道分岐点で日は暮れ、宵の明星と満月を見ながら暗い中を1人進みます。ゲート到着は午後5時50分でした。3時間半程のお気楽ハイキングの予定だったのが、8時間近くの急登登山で、本当にヘトヘトに疲れました。
この時間では当然温泉旅館の利用などままならず、真っ暗な中を樽見部落へ、そして国道を岐阜に戻りました。 

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