追原の大カエデ 西側の君津市の沢登りや古道を楽しんでいたのですが、反対東側の鴨川市の古道数本と四郎治沢源頭の346mピークを、一気にと思っていたのですが、大ケヤキ歩道は途中で消滅していて、探しましたがGPS電源も半分となったため撤退しました。 道の無い所では常時GPSで現在地を確認しなければならず、予備電源は持参しなかったからです。 多少でも道型があれば進めたのですが。 |
通行止めとなっていますが、板は腐食しておらず、高さも4m位でしょうか。ワイヤーをつかみながら往復とも渡りました。 ちなみに橋の辺りは高さ5mの崖となって降りる事はできません。川を歩いて渡る場合、札郷トンネル先の階段から降りて川を歩く事になります。 |
道なりに進むと立入禁止の立て札があります。左が四郎治林道、右が川台歩道で追原廃集落への道です。 |
川台歩道標識 |
道幅は3.5m位ある |
道は明白で迷う事無く杉造林に達します。真っ直ぐに進み右に作業小屋もあります。高さ1m程の田の畔も残っており、かなり水田はあった様です。 |
農科大学と掘られた石票、丸に三角矢印は何を意味するのでしょうか。 |
小川の橋を渡ると道は無くなり、杉造林の中を真っ直ぐ進みます。やがて墓石群に着きます。30以上あるのでしょうか。ネットでは享保年間と彫られた物もあるとの事、300年前です。 辺りを見回し、大カエデを探します。右手に幅、深さ10m程の沢の向こうにそれらしきが見えて行きます。 |
直ぐに着きますが、思ってたより小さいんですよ。本体部分は高さ2m位、そこから枝分かれして伸びています。毀誉褒貶があってこの形になったのでしょう。 ネットには追原廃集落がかなり出ていますが、人物比較が一つもないのは、やはり思ってたより小さいからでしょうか。 |
反対側に回ります。木は石垣の角にあって、石垣を膨らましながら成長したのです。石垣自体もかなり古い事になります。 |
別角度から 家屋、水田跡は杉造林がびっしりで艶消しです。 |
戻って四郎治林道へ向かいます。最初道型ははっきり残っており川沿いにぐんぐん高度を上げて行きます。やがて絶壁に近く高さも70m程になります。崖の上部をL字型に削って良く作ったものだと思います。この先に良木材あって搬出のために造ったのでしょう。 |
しかし突然、崩落となります。下は高さ70m近くで木は全く無く落ちるとアウトです。ここで引き返します。上は数mの崖となって高巻きはできません。 数十m戻って登れそうな所から木をつかんで稜線方面へ登ります。 最下部の地図のとおり、舌状の台地となっており、杉造林やモミの木の中をGPSを見ながら進みます。 |
台地が痩せ尾根になり、更に進むと道に出ます。切り通しもあり進んで行きます。 |
唐突に大ケヤキ歩道にぶつかります。そばに大ケヤキが。そんなに大きくないんですよ。高さ5m位で枝分かれしてますし根元直径も1m位ですし。 |
大ケヤキ歩道標識 |
川台歩道標識。川台歩道は追原の石標の所から台地の奥まで無くなっています。 |
265mピークの隣のピークにあった御影石の石標 |
舌状の平面台地を進む 台地を降って行きますと9番目の写真の集落入り口の杉造林にあった石標の所に出ました。道なりに車に戻りました。暑かったですねー。 |
湯ヶ滝廃集落からの湯ヶ滝歩道が見つけられて、四郎治林道へとつなげられれば1番良いのですが、難しそうだなー。