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2010年7月27日火曜日

NHK試してガッテン 演歌登山の巻き

今月上旬ためしてガッテンで登山関連の放送があり、私が良く見るブログの方も取り上げておりました。「演歌を声に出して歌いながら登ると、小股になり疲れない」ブログの方も「その通りだった」と記載されておりました。

ただ、それは低山の近距離の場合のみです。10時間以上のコースでは半分で日が暮れます。
先日のブナ立尾根で最初やったのですが、全然スピードがでません、これでは1/3も行かないと思いすぐに止めました。

今の日本では、亀井勝一郎の云う「良い意味の猜疑心」は100%に渡って必要ですねー。

2010年7月25日日曜日

7月25日 ウエブアルバムにアップしました

猛烈な暑さです、土日、餓鬼と有明の予定でしたが中止しました。23日車でちょこっと出掛けていましたが疲れた感じで山行は中止しました。20日の黒部のコースも暑くてきつかったですから。

24日は筑波射撃場に行きましたが汗ぐっしょり、いつもいらっしゃる方々もお見えになりませんでした。


先日の赤牛他の写真170枚をウエブアルバムにアップしました。晴天で美しい写真となりました。

やはり北アルプスは別格ですねー、6年ぶりの高瀬ダム、裏銀座、水晶、まばゆいばかりです。

2010年7月21日水曜日

7月20日 奥黒部ヒュッテから黒4へ























1番目、ヒュッテです、赤牛岳に登る方以外は利用されないでしょう。右の大きな建物が水洗便所です、小屋特有のあの臭いから解放されます。ここは小さいけれどお風呂があり洗髪洗身もできます。ただ食事はいまいちでしたが、ご飯がまとめ炊きでジャーに入れっぱなしです、調理は若い男性一人ですので。

平の渡しへは、ここから2時間。朝は6時と10時20分なので、10時台のにして朝食をとってから7時半に出発します。今日はとても暑い。
川沿いの登山道は2番目の写真、丸太のアトラクションが幾つも続きます。3番目の写真、何箇所か崩落もあります、関西電力の「落石、崩落により登山道は通行止め」と看板が楽しませてくれます。渡し場へ着く前にポケットに入れていた日焼け止めのフェイスマスクを落としてしまいました、後で苦しむ事になります。

登山ではザックの中にしまうのが鉄則ですね、幾つ物を無くしたか・・・・。


時間通り船が来て渡ります、運転は平の小屋の主人です。小屋に寄りネクターを飲みます。携行できる食べ物と思いましたが、ありませんでした。
4番目の写真は渡ったあとに針の木谷を写したもの、水は僅かです。黒4が出来るまでは、針の木峠からここを通って立山へ抜けるコースがありました。

黒4ダムへ向かいますが、とにかく暑い、長い、アップダウンもあり疲れます。樹間から山々や湖の景観は楽しめます。6番目の写真は湖の奥に薬師、毎日姿を見せてくれていました。

1.5Lの水筒の水が切れ苦しみます。ロッジくろよんで昼食と飲み物と思っていましたが、やっていません、自販機も通電されていません。先へ進むと遊覧船乗り場があり、そこの自販機でコーラを飲みます。14時20分黒4ダムに到着します。ヒュッテからダムまででも、普通の山の1日分の行程でした。ヒュッテで弁当を作ってもらうのが正解だったと思います。


ダムを渡り15時5分発のトロリーバスに中国人観光客と共に乗りこみます。扇沢駅のレストランで食事と思っていましたら、飲み物だけで食事はやっていません。ぶた饅1個を買ってタクシーで車のある七倉へ向かいます、6300円でした。すぐ下にある高瀬館という旅館で入浴洗髪後、大町で給油洗車後、何度かなじみのトンカツ屋さんで食事、4日ぶりのまともな食事です。

19時、穂高ICから東京へ向かいます。長い長い赤牛岳への登山はようやく終わりました。

7月19日 赤牛岳登頂
























今日も快晴、小屋で朝食後6時出発します。露天風呂の川沿いを(温泉沢)マーキングを追って登って行きます1時間50分程で取り付きへ。ここから急登となります。後でヒュッテで先行者からここで反対側で熊を見たことを聞かされます。少しのツガを抜けると30cm程の低いはい松帯となり360度の眺望が開けます。
1番目の写真、振りかえると緑の山間に残雪の薬師、青い空。急登ですがこの景色を長い時間楽しむことになります。出発から4時間程で稜線に達します。

稜線から、2番目の写真、雲の平越しの黒部五郎、雲海の中に白山も見えます。3番目は赤牛への稜線、長かったですが。4番目は来し方を、拡大すると赤い屋根の高天原小屋が見えます。5番目は水晶の稜線の上の槍。5番目は赤牛稜線の上の300m程の雪渓、溶けることは無いでしょう。
ここから赤牛ですが幾つかのアップダウンのピークを越えます、きつかったです。

14時ついに山頂へ、ガスが掛かり始めていますが、今日は十分に眺望は楽しませて頂きました。すぐに奥黒部ヒュッテへ向け読売新道を下ります。5/8までは森林限界を越えているので大きな石の上を歩く感じで順調でしたが、そこからは樹林帯となり掘れた登山道に大石があるので歩きずらくなります。
3/8からは掘れては無いのですが、アップダウンがあります。
読売新道は登りがきついのは勿論でしょうが、下りもきついです。水が無くなり樹林帯で暑く疲れます。
18時15分、奥黒部ヒュッテ着、手続き後すぐに入浴、なんとここはお風呂があるのです、水も使い放題。

浴後、缶ビールと夕食。それにしても赤牛は遠い山でした....。稜線手前と稜線直後に2人連れと会っただけ、玄人好みのコースです。
今日は12時間以上、急登とアップダウン、急降、足はぱんぱんになりました。

私は幾つか行きたい所がありまして、このコースとなりましたが、赤牛だけを登るのであれば新穂高から三俣小屋、水晶を経て奥黒部というのが最短のそして楽なコースではないでしょうか。

7月18日 雲の平、夢の平へ

























2900mの野口五郎小屋は夜は0度近くまで下がります、前夜、食後外で歯を磨いていたら手が痛い位冷えてしまいました。起きると風邪か、具合が悪く食事もとれません。横になって遅れて出発しました。快晴です、素晴らしい景色、写真もほんとうに奇麗。
1番目は小屋から富士、断念して帰宅とも考えましたが、とろとろ歩いていると体調も回復しました。
2番目は東沢乗越から槍、3番目は赤牛稜線、立山。4番目は水晶小屋から黒部五郎、真ん中に伸びる雪渓を祖父岳へ向かいます。なかなかの眺望です。撮影後、雪渓と木道の上を雲の平小屋へ向かいますが、改装中で給水と昼食はアウト。
小屋番と話しますが、「花は雪渓が溶けるとやや咲くが、わずか」との事。

うーーん、ネットでは「花畑がきれい」また多くの「雲の平」でテントを張りたいという意見があり期待していたのですが、がっかりでした。やはり「百聞は一見にしかず」でした。確かに周囲は名だたる山々に囲まれていますが、幕営ならもっと素敵な所を知っています。

そこから高天原山荘へ向かいます、凄い降りです。10mのはしごが3段、グングン高度を下げます。16時山荘へ着きます、3連休のせいか多くの宿泊客、ここは水は使い放題。たっぷり飲んで5番目の写真の竜晶池へ、ここは素敵、山の黄緑、ツガの深緑、空の青と調和し素敵な景色です、お薦めですね、露天風呂から15分です。

戻って秘湯へ入浴、体も洗ってさっぱり。小屋へ戻り缶ビールを飲み18時の2順目の食事を待ちます。水が使い放題の小屋だけあって、おかずは別にして炊き立てのご飯はとても美味しい。

皆、温泉目当てですが、ただ雲の平から下り2時間半、戻りが3時間半ですから遠いですよーー。

7月17日 烏帽子岳 登頂





































































17日から烏帽子、赤牛、雲の平、夢の平へ行って来ました、高瀬ダムから入りました。車は手前の七倉までしか入れませんので、そこからタクシーとなります。裏銀座の玄関口、7年ぶりです。
トンネルと吊り橋を過ぎ取り付きます、壁の急登を小さなジグを切りながら喘ぎます。
取り付きから3時間50分で稜線へ、眼前に残雪の赤牛が。「(来て)良かったー」思わず声が出ます。直ぐ下の小屋を右に行くとニセ烏帽子、この辺りの稜線ははい松と古い花崗岩の白砂、鳳凰三山の薬師を小さくした感じで、こまくさと岩ぎきょうが咲き、とてもよい感じです。北アルプス主脈でも烏帽子から蓮華までは紹介される事もまれですが、実際に行くとかなり良いかもしれません。少なくとも烏帽子岳はとても良かったです。

ガスが切れたり晴れたりですが、1番上、水晶から赤牛の稜線がきれいに見えます。縦走路から烏帽子へ向かいます、2番目は直下50mクサリ場の壁となります。岩峰の上まで行けます。対岸の赤牛、その向うの薬師、立山、すぐ隣の南沢岳。撮影します。
14時、烏帽子小屋へ戻り買い物をして野口五郎小屋へ向かいます。ガスが掛かったり晴れたりですが眺望は楽しめます。16時、4番目の写真、稜線を振りかえるとニセ烏帽子と烏帽子の岩峰が。

「2時間前あそこにいたのか」、感慨の中を野口五郎へ向かいました。

2010年7月11日日曜日

88年前の針の木雪渓


















岳人8月号に大正12年7月に針の木雪渓上部に立つ竹内姉妹の写真が掲載されました、凄い。今から88年前です。
やはり写真は強烈なインパクトがありますね、文章だけでは想像の範囲ですから。
他にも竹内ヒサの写真がいろいろ掲載されています、購買の価値はあります、お薦めです。

何とスカートなんですよ、街中の様な洋装です。

大正9年、大町から針の木峠を越え剱へ、そして富山の上市への縦走記録もあります。案内人を雇い、服装もしゃれています。

写真は著作権もありますので、これは先月蓮華岳へ登った時に私が写したものです。