Powered By Blogger

Translate

Translate

2008年12月20日土曜日

12月20日 鷲ヶ岳 3度目中止




19日夕方から中央道経由東海北陸道のひるがのSAへ、23時着仮眠。翌朝ETC出口から先月の鷲ヶ岳林道へ。手前で全面通行止めの看板がありますが、半分開いていてタイヤ痕もあり進みます。しかし、入ってすぐ20cm以上の固まった積雪。チェーンは持参したもの一般車では亀の子となってしまい無理です。

今年3月にも行ったホワイトピア高鷲スキー場からと考え向かいます。大盛況のスキー場リフトで最上部へ、そして山スキーを持って様子をみました。が、尾根を30mも進むと3番目の写真のとおりの大藪です、お話しになりません。藪の間から鷲ヶ岳が見えますが、今の時期はどなたも伺うことは困難でしょう。大日岳の右手に文字通りの白山が望まれます、2番目の写真。

スキー場も雪は少なく、何か薬剤で凍らした感じの硬い斜面です。99%ボードです、関西は特にボードの比率が高いです。

今年は降雪は早かったのですが、量がとても少なく新潟方面はスキー場が開業で来ていません。


仕方なくひるがのSA、ETC口から東海北陸道へ入り更に開設なった中部縦貫道で高山へ向かいます。中部地方の高速道開設はめざましいものがあります。
快晴の下、乗鞍岳が美しく見えます。が、高山も雪の気配は皆無です。200名山の位山があるモンデウススキー場へ向かいますが、国道からも全く雪のないスキー場が見えます。6km程でスキー場着。
1番目の写真のとおり、雪は全くありません、夏山です。左側の雪は人口降雪機の物です。
山スキー装備ですので、登山靴は持ってきていません。やれやれ。


快晴の中、下呂から中津川へ、中央道へ入り代車のスズキスイフトでのとろとろドライブを楽しみます。
140kmが限度ですね。いつもはトンネル手前の勝沼からガチガチの渋滞ですが、今時期はガラガラです。圏央道分岐点で事故渋滞となり、18時過ぎ自宅着。疲れました。

2008年12月17日水曜日

12月17日 新型ドアミラー装着



C3純正ドアミラーに一部ガタがきていたので、C5の物に交換装着することにしました。フロリダのエックラーというコルベットの部品販売会社にオーダーしました。昨日発送したとのメールが入りました。
長ーい楕円形で視認範囲は広いでしょうね。ヒーターも付いており曇ることはありません。
同時ミラーウインカーをオーダーしました。アウディの新車等にも装着され日本でもたまに見かける様になりましたね。

ところでC1、C2といった30年以上前のコルベットにはバックミラーが付いてないのです。広くまっすぐで、カーブがない道路のアメリカならではですね。

40年前の部品でもエックラーにオーダーすると概ね入手できます。維持にはお金がかかり、任意保険料も日本の何倍もするため、アメリカではスポーツカーのオーナーは年寄りということになり、日本の様に若者が乗っていることはありません。


2008年12月13日土曜日

今日は在宅で過ごしました。定期購読の雑誌を何冊か読みましたが、BE-PALの1月号は新製品の紹介で良かったです、食指を動かされるものはありませんでしたが。
牛とか虫の観察写真、オオサンショウウオの記事もありまして。

雑誌は情報源として重宝しております。


2008年12月7日日曜日

12月7日 前袈裟丸山 登頂




朝6時半に自宅を出発、東北自動車道佐野インターでおり、桐生から122へ入ります。前に遅いワンボックスがいて登山口到着は9時近くでした。122からは表示があり、すぐに解りました。登山口まで6kmの表示があり舗装された人工林の中を進みます。やがて林道が分岐し、そこに正確ではない適当な案内板があり、右の寝釈迦の方に進みます。これが失敗でこちらの登山口からは稜線の賽ノ河原まで2時間近くかかるのです。左側の登山口からですと40分ほどだそうです。ネットですと情報を収集出来かねる事も、あります。


9時5分に沢沿いを稜線へ向けて出発します。ずっと沢の小川沿いを上がる感じで1時間45分で稜線に上がりました。3時間位の予定でしたが、この時点で狂います。山頂は遥か彼方です、1時間余りで着く様な感じではありません。急ぎ足で、雪でなだらかな稜線を進みます。

快晴で湿度が低いせいか、地平線の山々もはっきりと見えます。1番上は前橋市方面、拡大すると富士山が見えますでしょう。2番目は避難小屋前の登山道。雪の上を夏の登山靴で歩くとつま先保護の金属
が冷えるせいか、足指がとても冷たくなります。一昨年2月の七面山を思い出します。気温は氷点下でしょう、防水手袋では指先が冷たい感じです。猟期なのでハンターが入っており銃声が何度か響きます。雪の上には鹿の足跡や糞が多く、棲息しているいることは確認できます。
前袈裟の前は木の根を掴んで登る急登となります、先行者が続々と下山してきます。13時過ぎ前袈裟山頂に着きました、4番目の写真。手袋を脱いで写真を撮ると、手がしびれる程、気温は低いです。前袈裟ですが袈裟丸山山頂の標識があります。袈娑丸から奥袈裟丸へは登山道崩壊で禁止は有名な話しですが、今は袈裟丸までも一般的ではないのでしょうか。

すぐに袈裟丸山へ進みます。が、30m程で足跡が終わり皆引き返しています。そこからは積雪が多く、完全な雪山装備のラッセルでなければ進むことはできません。


写真撮影のあと引き返します。3番目の写真は袈裟丸、奥袈裟丸、皇海山、奥白根と続きます。拡大されると良くわかります。今日は地平線までの眺望でした。体調は良くなく、登り返しがとても疲れます。足が重く上がりません。賽ノ河原へ戻ったのは15時半です。ところどころ凍った雪の上で幾度が転倒しました。ここから寝釈迦経由の登山口まで80分の表示があります。

こちらの登山道は、藪の中の明確な道ではなく、樹林の中や沢沿いを赤テープを頼りに進むので、日没になったらアウトです。とにかく大急ぎで進みます。とばして16時半登山口に着きました。
情報収集不足と遅い出は、反省いたしました。片道3時間じゃ楽勝と思い食料も持たなかったのですから。昼は非常食のカロリーメイト2つでした。


遅出ですと、何も無くて日没ぎりぎりですから、道迷い等があれば降りれずビバークとなってしまいます。


122に降りて、蕎麦屋で暖かい蕎麦とミニとろろ丼を頂きました、空腹と冷えた身体には心地よいものでした。がらがらの東北道を150kmで、前に引っ張ってくれる車がいましたので、19時半に自宅着となりました。







2008年12月1日月曜日

12月1日 車検、銃、ワイン


愛車は車検のため相模原のムーンオートさんに入りました。代車でスズキのスイフトの新車を借りました。首都高でのふわふわ感はファミリーカーを自覚させます。帰宅してFランプが点いたのでGSで満タンにしましたが30Lちょいしか入らないのですね。3ナンバーとは倍以上の差ですね。

普通の車ではないので、しばらくかかるかと思います。いつもそうなのですが、手元に無いと一抹の寂しさはあります。特別な感じになっているのですね。


帰りがけに日暮里の三進小銃器SSに寄って、先台(さきだい)の修理で預けておいたベレッタ682を引き取り、弾250発を購入して、台東区竜泉の靴屋さんにさらに寄り、スナイプ(スペイン製)のドライビングシューズを購入して帰りました。
タイム&タイドという店ですが輸入物をインターネット販売で売り、成功している会社です。ビルの1室を借り3、4人の従業者が居るのですから、そこそこ繁盛ですね。


今、ジョルジュデュブッフのシラーレゼルブ2003を呑みながらキーを叩いています。ジーンズの外張りはプラスティックのもので、ビンに被せただけのものですが、お店でインパクトはありました。


思わず手に取って購入しましたから。値札が8900円で、そこそこかと思いましたら、それは下の段のボルドーで、こちらは2000円位でした。2003年にしては青く、新酒の様な口当たりです。あまり美味しいとは思いません。
はまっているラムのリブロースを食しながら。

2008年11月24日月曜日

11月24日 帰省

朝7時半朝食後、雨の中8時半に出発。高野山スカイラインを戻れば早いものの、雪積チェーン規制で有田ICへ向かいます。ナビの指示で大阪まわりから名阪、四日市手前御在所SAに12時着、昼食後伊勢湾岸から東名へ、しかし厚木手前で渋滞完全にストップとなります。自宅着は18時半、昨日に続き1日中車を運転していた感じ。とても疲れました、渋滞が何より1番疲れます。


昼間に東名を走ったのは今年の元旦以来ですが、やはり景色が見える分、夜よりずっと素敵です。東名は浜名湖の見える辺りが1番素敵です。

11月23日 釈迦ヶ岳 登頂












前日、谷瀬の民宿「ニューつり橋」に宿泊。朝食後、旭橋から林道を20km近いのでしょうか登山道を目指します。舗装はされてますが、小さな尖った落石に気を使います。2度ほど停車して20cm程の落石をどかしました。40分程で峠登山口手前1km位で積雪のため車を停め、歩いて登山口へ向かいます。舗装の林道はなお先へ続いています。民宿主人の「昔は大きなブナが沢山あり水も湧き出してルリも居て素晴らしかった。ブナはパルプにしてしまった、水も涸れてしまった。」とのこと。
笹藪の間に道はしっかり付いて迷うことはありません。3、40分程で笹は20cmの背丈となり快晴の下、眺望が広がります。前方に釈迦ヶ岳、左右に大峰奥駆道が望まれます。

観光、登山で虫食いの様にした奥駆道ですが、知っていれば1発で行ったと思います。
快晴の下、湿度も低いせいか360度地平線までの眺望です。山、山、そして山。四国山地や九州の山間部を思い出します。ただ皺、ひだの様に続き、突出した山容は無いのですが。
休憩なしの早足で2時間で山頂、手前で地元の単独登山者、「神仙の宿まで行きたかったが手がちぎれそうに冷たい」、軍手では仕方ないでしょう。冬用防水手袋でも冷たい感じなのですから。
下のテン場には雪の中3張り。
1番上は山頂から来し方を、2番目は山頂から八経ヶ岳、右に大峰山が。3番目は北側、孔雀岳から八経ヶ岳の奥駆道。4番目は南方面の奥駆道。5番目は途中からの大日岳。
快晴の下、20分ほど撮影、眺望を楽しんだあと下山。谷瀬の蕎麦屋で昼食後、野泊川温泉ホテルに電話するも断られる。山の中の村営で楽勝と思っていたのに。
和歌山橋本龍神温泉宿泊案内所へ電話し、有軒荘(ありのきそう)を紹介され向かう。

紀伊半島山間部は国道県道もくねくね曲りくねって、ほんとうに時間がかかります。1日中運転の感じでした。龍神温泉は山の中、何も無い感じです。14千円と酒類で17千円程でした。
明日、伯母子岳の予定が雨との事で早々に中止します。

11月22日 金剛山 登頂

昨年12月31日、ロープウエイ停止の為、引き返した金剛山へ行ってきました。ロープウエイ下の府営駐車場に車を止めます。これから登る地元の方の話しを交わします。歩いても1時間ちょっと、ですがロープウエイを利用します。片道700円です。

そこからダイヤモンドトーレールになる車道を歩いて左側に大阪府最高点、しばらく行って右側に登るとテレビ中継塔と1等三角点。さらに進むと樹間から、水越峠から葛城山と奈良市街が見えます。
ちょっと登ると上の写真の葛木神社です。真新しく有難味はありません。その裏が最高点との事ですが神域とのことで立ち入り禁止です。

そこから少し下ると、お寺跡。売店がありにぎわっています。その先が2番目の写真の山頂標識がある広場になっていて、100人以上の賑わいです。3番目の写真のとおり大阪が一望です。


そこから戻って車道だった稜線の下の道を(これも車道に近い)ロープウエイに戻ります。広場から戻ってすぐに、30分で下れるという道もありますが、この道を行きます。ロープウエイから500m先に村営のホテル並みの宿泊施設があり、そこのレストランで昼食を摂ります。

その先には200m近い整地されたキャンプ場があります。宿泊施設、ロープウエイ駅、テレビ中継塔等、物資、関係者は車で往来しており、文字通りの車道です。


国定公園内にホテル並みの宿泊施設や大規模な人口施設があり、レジャーランドの趣きです。
登山とか200名山の趣きを感じることは皆無でした。






2008年11月4日火曜日

11月3日 三方岩岳 登頂

















白山スーパー林道のゲートが開くのが午前8時なので、道の駅「瀬女」で時間をつぶします。一昨年の笈ヶ岳が懐かしく、鮮明に思い出されます。ジライ谷からスーパー林道を見たのが、今日は逆になります。料金所からすぐにジライ谷となり、停車して写真をとります、4番目の写真。その下がシリタカ山からの沢筋の滝、紅葉真っ盛りです。


高度を上げていくと冬の寒さです。三方岩岳駐車場から最初からカッパ上下を着用、山頂へ向かいます。2番目の写真、右を巻いて真ん中奥の山頂へ向かいます。30分で着きます、風も強く寒いです。
3番目が山頂から雪の白山、1番目がスーパー林道を見下ろしたものです。
写真撮影の後、下山。観光客も増えてきます。白川へ向かいます、林道入口はどちら側も紅葉の盛りです。1番下は白川口手前の紅葉と愛車です。
ちなみに明日11月4日でスーパー林道は閉鎖になります。
今年6月開通の白川ICから荘川ICを経て、ひるが野SA併設ETC出口より鷲ヶ岳へ向かいます。




11月3日 鷲ヶ岳 中止













ICを出てナビを林道の立石に合わせます。春にもレンタカーで来ているので勝手が解ります。林道に入り、民家がある先まではきれいに舗装してあるのですが、やがて穴ボコの簡易舗装となり、しばらくすると、林道右側に案内板が現れます、1番目の写真。ここから登山道への林道はダートで、普通車なら腹を打ちながら行けるほどですが、私の車では全く無理なので、すぐ手前の鷲ヶ岳立石キャンプ場(2番目写真)に車を置き、歩いて行きます。1kmほどで地名の由来の立石が林道左側に現れます。さらに杉林の中を進みます。Uの字をつぶした様な林道となります。45分ほど歩いたところで丸刈りの伐採跡となり(4番目ひどいなーー)、まだまだ先に続く林道が見えます。ここでモチベーションが潰えて中止を決めました。
ちなみに案内板ですと、登山口から1時間で山頂との事です。春の吹雪での手前での撤退についで、2回目もダートの林道で阻まれました。
後楽(楽しみは後に)。3度目の正直へ。



11月2日 経ヶ岳 登頂


















夏に登った200名山の中央アルプス北側にある経ヶ岳とは別の福井県勝山市にある300名山の経ヶ岳です。ホテルで食事後、勝山スキージャムというスキー場から林道で法音寺登山道を目指します。林道は全てきれいに舗装されています。スキー場の中を九十九折りに進み、登山口に着くと車が7台ほど止まっています。
他に2つの登山道がありますが、ネットでヒットしたこの道から登ります。
階段状に整備された道を1時間ほど登ると法音寺山頂です。この道がコース中の急登となります。あとは殆ど平です。1番上の写真が紅葉の法音寺登山道。3番目が法音寺山頂から見た経ヶ岳で、ここから4.5kmの標識があり、結構な距離に見えます。ここから半円状に雑木林の鞍部を北岳へ向かいます。
ハイキングの方はここで引き返していきます。ちなみにスキー場はこの山頂までリフトが来ています。
やや進むと、白山伏拝(ふせおがみ)に着きます。眺望の良い日はここから白山が見えるとの事。ここから平らでびっしりと落ち葉の積もった鞍部を早足で進みます。5番目の写真が北岳手前から山頂を写したもので、ここから山頂まで笹原となります。上から道は見えますが、漕いで行く事になります。特に山頂手前は背丈ほどになります。6番目の山頂は枯葉剤を播いたものでしょうか、20畳ほどの広さです。山頂標識は根元から折れています。休憩なしの急ぎ足で3時間でした。私のすぐ後に出た地元の3人組は30分遅れでした。4番目は山頂から六呂師からのコース。地元3人組によりますと、「距離は長いが急登が無く、今日のコースの方が楽だ」とのことです。
2番目は山頂から法音寺。向って左が法音寺山頂、下った所にスキー場リフトが見えます。右側が白山伏拝です。
昼食後、帰りを急ぎます。駐車場へ午後4時着。私と3人組の車だけとなっていました。
明日の三方岩岳登山に向け、白山1里野へ向かいます。



11月1日 冠山 登頂







地図で岐阜側からの道がはっきりせず、福井側から冠峠を目指しました。途中まで完全舗装ですが、やがて穴ぼこだらけの簡易舗装の七曲りの林道となります。峠に近づくにつれ、濃いガスとなります。
すでに30台ほどの車、晴れるまで待つという方もいます。
ガスの中、出発。ほとんど平らな道を40分程で冠平との分岐点へ着きます。そこから右へ山頂へトラロープの急登ですぐに登りきって左へ行くと山頂です。先客が4人、1人の退職した男性は300名山を目指し、今220程だと云います。
ガスは晴れず、割りと近くに見えるはずの能郷白山は見ることができません。20分ほどのんびりして下山します。半分くらいまで戻ってくると、みるみるガスが晴れてきます。1番上は途中からの山頂。2番目は同じ所から冠峠を写したもの。峠は100台近い車です。地元では紅葉の名所ということで、峠でシートを引いて宴を開いているグループもいます。3番目の写真は峠の登山道入り口から山頂を写したものです。
写真のとおりの特徴的な山容です。峠自体標高が高く、小1時間で楽に登れ、見晴らしも良く、ハイキング気分で行けるお薦めの山です。正午過ぎ、すっかり晴れた中を越前大野へ向かいます。
時間が余り、大野市でイトヨの里、本願寺清水(しょうず)、湧水のお清水(しょうず)を見学の後、勝山観光協会紹介の勝山ニューホテルへ投宿、夕餉はタクシー運転手紹介の小料理屋、喜代美へ伺いました。

2008年10月13日月曜日

10月12日 能郷白山 登頂













名古屋の旅館「松泉郷」泊、就寝2時間で足がこむらがえりで起きてかっちりと目が覚めてしまいます。
5時起床予定が目覚ましがならず6時起床、年寄りいっぱいのデニーズで小さなパンと野菜スープの朝食。晴天の中、根尾村を目指します。ナビ任せで名古屋高速から東名、岐阜羽島で降り瑞穂市経由、根尾村へ。10数年前、父と薄墨桜の観光を思い出します。その頃は山も登山も全く知らず、真っ白な白山から冷たい風が吹き下ろしていたのが、そして大勢の人で賑わい、帰りに岐阜への道を行くと、反対車線が20数キロもの渋滞だった事を改めて思い出します。
国道で温見(ぬくみ)峠の予定が樽見から土砂崩れで通行止め。天下の往来、国道なのに「地元車両優先」の立札が笑わせてくれます。2時間で山頂の予定が、3時間で山頂の根尾谷からの登山道へ。これが更に番狂わせの超厳しい登山へ。


「私有地につき立ち入り禁止」のふざけたゲート前(林道は国費で建設されてるのだろう)には10台程の車。着替えて林道を進みます。昭文社刊2006年版「日本200名山を登る(下巻)」ではゲートからすぐ左側に登山道の記載ではあった。しかし無く、ひたすら舗装の林道を進みます。間違えたのかと何度も思いますが小一時間で分岐点に。鍵を開けて入ったのでしょう、地元車両があります(ふざけてるなー)。
まっすぐの道は大石で車が入れない様に塞がれ、上にケルンがあるので進みます。しばらくして振り返ると左に行った若い親子連れが下がってくるのが見え、分岐点へ戻ります。「登山道はこちらでしょうか」と声をかけると、「否、行き止まりで戻って来ました」「私は前に登ったことがありますが、その時は入ってすぐ左に登山道があった記憶がある」「尾根筋を登ったのに、この道は谷筋を進んでいる、おかしい」といいます。「でも無かったですよね、こっちにケルンはあるし」と私。

そして真っすぐを、一緒に進みます、結構な登りで答えます。30分程でありました、登山口が。(2番目の写真)
前はここまで、車で入れたのが、今は6km程下でゲートを設置してるのです。ここが標高710m、山頂で会った方がゲートの標高は310mと云ってましたから結構な登りです。体調万全では無い私は、この時点でもうバテバテです。朝のチンケな食事でお腹はすくし。持参はサークルKで購入のいなりずしとソーセージ1本ですし。
登山道に入ります、前山まで急登につぐ急登です、本当にこたえます。標高1000m程にも登山道入り口標識と廃棄された林道が。昔はここまで車で入れたのでしょう。廃棄林道はさらに右上の稜線近くまで続きます。加賀白山で見たように、何10段もの砂防ダムが見えます。
300名山で日本各地の山奥を歩くと、何10億円も投入されて建設されながら、すぐに廃棄された林道を数多く見ることができます。最初から必要が無かったのでしょうが、とても、とても悲しい気持になります。
急登を進みます、立ち止まりを繰り返しながら。
喘ぎながら前山に着くと前方に山頂が見えます。(3番目写真)向って右の方が頂上です、真ん中辺に木の祠があります。ここから一旦下って登り返して山頂です(5番目)。前山から振り返ると秋晴れの中、尾根筋左奥に能郷部落が、右側の谷筋奥にはダム湖が見えます(4番目)。1時間ちょっとで山頂へ、午後2時でした。先着の滋賀からの親子連れと歓談、昼食。行き交う人も皆きつかったと云います。大回りして温見峠から来たという人2人。樽見から村道をまわり温見峠には行けるとの事でゲート右上に小さな案内図があったとの由。私も見ましたがそれが迂回案内とはとても思えませんでした。
山頂は前山から見えるとおり笹に覆われた台地状で、(1番目)南に冠山、北に加賀白山が見えます。なかなかの眺望です。しかし、ゲートから1300mの標高差を登ったのですから、とてもきついです。
前述のとおり、林道には何ひとつ標識はありません。私には登山以外使用目的のないと思われる通行止めの林道ですが、まだ幅100m以上の大規模な法面(のりめん)工事や砂防ダム構築が行われています。
食事と写真撮影のあと、帰りをとにかく急ぎます。林道分岐点で日は暮れ、宵の明星と満月を見ながら暗い中を1人進みます。ゲート到着は午後5時50分でした。3時間半程のお気楽ハイキングの予定だったのが、8時間近くの急登登山で、本当にヘトヘトに疲れました。
この時間では当然温泉旅館の利用などままならず、真っ暗な中を樽見部落へ、そして国道を岐阜に戻りました。 

10月11日 藤原岳 登頂







11日夕方、愛車のレーシングブレーキ装着の採寸と見積もりで名古屋のデッキさんに伺う予定があったので、四日市の近くの藤原岳へ登りました。前日に四日市に入りましたが、深夜から雨となり止みません。小雨となりましたが、雨では全く登る気はしません。観光と行っても特に行きたい所は無く、とりあえず登山口まで行ってみるかということで、西藤原駅近くへ向かいます。すると雨は止み日が差してきました。
表登山道駐車場を確認した後、水を買いに聖宝寺下の自販機へ行きます。秋祭りらしく、人達が提灯や神輿、太鼓の準備をしています。
駐車場は10台位、立派な、そして無意味な休憩所があります。
樹林の中をずっと登って行くと、やがて聖宝寺からの裏登山道との合流点に着きます。そこから急な登りとなります。下草の無い落ち葉の登山道は不明瞭で、マーキングが頼りです。石が多く、やや歩きずらい道を登り切ると避難小屋に着きます。
山体上部は台地状となっており、この台地へ下ってから山頂を目指します。山頂は石垣が残っており、御堂をしのばせます。
1番目の写真は山頂から避難小屋を、2番目は同じく山頂から台地を見下ろしたもの。3番目が山頂です。その後台地へ下ったところ、駐車場から下って行った若い女性2人と会い、尋ねると「聖宝寺登山口から登り、表登山道を下る」と云います。
当初、表登山道往復の予定でしたが、帰りは裏登山道を降ります。
沢筋が土石流跡の様にも見え、深さ10m程のものが数100mも走ります。その脇を歩いたり、途中50m程その中を歩きます。
やがて聖宝寺へ着き、階段を降り、神社の脇を降りると、村道へ出ます。表登山道へは800m程です。

2008年9月15日月曜日

9月15日 七つガ岳 中止

14日、居酒屋桜さんで、ジョッキ2杯、地酒3合が効いたのか、とても疲れた感じで起き上がれません。


4時半の目覚ましでしたが、8時までベット、それから帰宅します。那須塩原インターから曇天の中、快適なドライブです。途中NSXのパトカーや覆面が違反者を捕まえていました。普通に走っていて捕まる理不尽には断腸の思いです。

帰宅後、ホイルとリアを洗いました。高速を走るとパッドかすでホイルが真っ黒になります。リアは排気ガスと塵で、とても汚れます。


田島駅前のビジネスホテルみなとは2回目ですが、前に引き続き今回も虫に刺され嫌になりました。ベット関連のクリーニングがなされてないのでしょう。
素泊まり6800円も田舎にしては高めですね。

9月14日 高原山 登頂






















鬼怒川有料道路から日塩もみじラインへ入り高原山を目指します。くねくねした道路で、30km未満で走る4駆に道をふさがれます。譲ることも知らない丸出しの馬鹿です。気を見て追い越し、登山口を目指します。

鶏頂山登拝口を確認しましたが、水の用意がありません。エーデルワイス、ハンターマウンテンのスキー場へ行きますが自販機はありません。廃棄となったメイプルスキー場入口反対側のゴルフ場へ行きます、11時早目の昼食とします。バイキングで2000円、女の子に2L水筒に半分水を入れてもらい、登拝口へ戻ります。11時20分、6番目の写真の1の鳥居から登ります。車が5台ほど止まっていたので、私もここに車を置いたのですが、この先、鶏頂山スキー場跡まで車で行くことが可能です。
そこからスキー場跡を(5番目写真)緩やかに登ります、やがてスキー場跡最高点(4番目の写真)へ着きます。かってメイプル、鶏頂山、鶏頂山見晴しと3つのスキー場があった看板があります。
そこから平らなツガ系の樹林の中を進むと、すぐに水溜りの様な弁天池に着きます(3番目の写真)。
木の鳥居を進むと鶏頂山、左が鞍部から沢沿いの道です。右に進み鶏頂山を目指します。1の鳥居から1時間40分程で山頂へ着きます。山頂いっぱいに木造の神社が鎮座します(1番目の写真、鞍部からの鶏頂山、北面はガレています)。下って最高点の釈迦ガ岳を目指します。1時間程で到着、小さな祠に高原山神社(2番目の写真)とあり、この山がかっては高原山と呼ばれ現在の総呼高原山となったのでしょうか。
小さな山の集合体といった趣きです。戻って鞍部から沢沿いの道を下り弁天池に戻ります。16時20分車の所へ戻りました。
バイクの連中がたむろしています、日塩もみじラインは格好のバイクコースです。
明日の、七つガ岳へ備え田島のビジネスホテルみなとへ向かいます。